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農園古穂の里で日々自然栽培にチャレンジ。土壌と土壌生成理論の探求。
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続いて『ロハスの思考』より福岡伸一氏の動的平衡論について、その概略の記述をメモしておきたい。

31ページより35ページまで。
ルシャトリエの法則
 「一般に可逆反応が平衡状態にあるとき、その条件(濃度・温度・圧力など)を変化させると、条件変化の影響をやわらげる向きに反応が進んで、平衡が移動する」
 すべての高校の教科書に出てくる自然界の基本原理である。この原理は、一言でいえば
”自然は干渉に対して揺り戻し(報復)を行う”ということである。厳密にいえば、ルシヤトリエの原理は閉鎖系の平衡で成り立つ原理であるが、自然界は近似的にいって、大きな動的平衡状態にある。地球上のそれぞれの元素の総和もほぼ一定であり、循環しながらバランスを保っている。
 一方、生命自体も動的な平衡系であるといえる。
 日本が太平洋戦争にまさに突人せんとしていた頃、ナチスードイツから逃れて米国でどうにか職を得た、英語のあまり得意でない、一人のユダヤ人科学者がいた。ルドルフーシェーンハイマーである。彼は、当時ちょうど手に入れることができたアイソトープ(同位体)を使ってアミノ酸に標識を付けた。そしてこれをネズミに3日間、食べさせてみたのである。
 アミノ酸は体内で燃やされてエネルギ~となり、燃えかすは呼気や尿となって速やかに排泄されるだろうと彼は予想した。アイソトープ標識は分子の行方をトレースするのに好都合な目印となる。結果は予想を鮮やかに裏切っていた。
 食べた標識アミノ酸は瞬く間に全身に散らばり、その半分以上が、脳、筋肉、消化心臓、膠臓、肺臓、血液など、ありとあらゆる臓器や組織を構成するタンパク質の一部となっていた。3日の問、ネズミの体重は増えていない。これは一体何を意味しているのか。
ネズミの身体を構成していたタッパク質は、3日間のうちに、食事由来のアミノ酸によってがらりと置き換えられ、その分、もともとあったアミノ酸は捨てさられた、ということである。
標識アミノ酸は、ちょうどインクを川に垂らしたときのように、”流れ”の存在とその速さを目に見えるものにしてくれたのである。
 つまり、私たちの生命を構成している分子は、プラモデルのような静的なパーツではなく例外なく絶え間ない分解と再構成のダイナミズムの中にあるという画期的な大発見がこのときなされたのだった。まったくの比喩ではなく、生命は行く川のごとく流れの中にあり、私たちが食べ続けなければならない理由は、この流れを止めないためなのだ。そしてさらに重要なことは、この分子の流れは、流れながらも全体として秩序を維持するために関係性を保っているということだった。シェーンハイマーは、この生命の特異的な在りように「動的な平衡」という素敵な名前をつけた。
 それまでのデカルト的な機械論的生命観に対して、還元論的な分子レベルの解像度を保ちながら、コペルニクス的転換をもたらしたこのシェーンハイマーの業績は、ある意味で今世紀最大の科学的発見と呼ぶことができると私は思う。
 しかし皮肉にも、このとき同じニユーヨークにいたロックフェラー医学研究所のエリーによる遺伝物質としての核酸の発見、そしてそれが複製メカニズムをその構造に内包る二重らせんをとっていることが明らかにされ、分子生物学時代の幕が切って落とされると、シェーツハイマーの名は次第に歴史の澱に沈んでいった。それと軌を一にして、再び、生命はミクロな分子パーツからなる精巧なプラモデルとして捉えられ、それを操作対象として扱いうるという考え方がドミナントになっていく。必然として、流れながらも関係性を保つ動的な平衡系としての生命観は捨象されていった。
 ひるがえって今日、外的世界としての環境と、内的世界としての生命とを操作し続ける科学・技術の在り方をめぐって、私たちは現在、重大な岐路に立たされている。シェーンハイマーの動的平衡論に立ち返って、これらの諸問題を今一度、見直してみることは、閉塞しがちな私たちの生命観・環境観に古くて新しいヒントを与えてくれるのではないだろうか。なぜなら、彼の理論を拡張すれば、環境にあるすべての分子は私たち生命体の中を通り抜け、また環境へと戻る大循環の流れの中にあり、どの局面をとってもそこには平衡を保ったネットワークが存在していると考えられるからである。
 平衡状態にあるネットワークの一部分を切り取って他の部分と入れ換えたり、局所的な加速を行うことは、一見効率を高めているかのように見えて、結局は平衡系に負荷を与え、流れを乱すことに帰結する。実質的に同等に見える部分は、それぞれがおかれている動的な平衡系の中にのみその意味と機能をもち、機能単位と見える部分にもその実、境界線はない。
 このような視座に立ったとき、遺伝子組み換え技術が期待されたほど農産物の増収につながらず、臓器移植がいまだ有効な延命医療とはならず、ES細胞はその分化こそ誘導できても増殖を制御できず、クローン羊ドリーが奇跡的に作出されるも早死にしてしまうといった数々の事例、バイオテクノロジーの過渡期性を意味しているのではなく、動的な平衡系としての生命を機械論的に操作するという営為の不可能性を証明しているように私には思えてならない。
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